診療所で救われた命 感動の再会

 2011年3月18日

カンボジア滞在中だった日本のサイド・バイ・サイド(SBSI)スタッフは、2011年3月18 日にプノンペン市内の病院に入院しているチャンさんという女性のお見舞いに伺いました。
この人は、2010年9月に、滝から転落して岩に頭を強打して頭皮も破れ、100メートル流されている間に、大量の出血をしたようでした。さいわい、グラ フィス診療所に運び込まれて応急処置を受けた後、グラフィス救急車でプノンペンの国立病院に搬送されて緊急手術を受け、奇跡的に一命を取り留めました。そ してベトナムでのリハビリ後、プノンペンの病院に戻っていました。
チャンさんは、病室に来たSBSIのスタッフを見るなり涙を流し、英語でサンキューサンキューと言い続けました。事故のときに同行していた甥のライさんも 病院に来て、病院に運ばれてから現在に至るまでの状況を説明してくださいました。お見舞いに伺った時点ではまだ自力で歩くことは困難でしたが、支えられな がらの歩行訓練をしており、自分でも、毎日身体を動かせるだけ動かして懸命にリハビリを続けているそうです。
スタッフは、長期にわたる入院に懸命に耐えているチャンさんの姿に、とても感動しました。
チャンさんもご家族も、グラフィス診療所とグラフィス救急車がなかったら、今ごろ命はなかったかもしれないことを、よくご存知でした。そして、訪れたス タッフに深く感謝してくださいました。スタッフが帰る際も、チャンさんまで車椅子で外まで出てきて、見送ってくださいました。

このように、グラフィス診療所は、人の命を救うために貢献し、またその家族の生活をも救っています。

そこに診療所があったから・・・
グラフィス診療所が、カンボジアによくある診療所のように、医療従事者が一日の大半がそこにいないだどということはなく、きちんと機能していたからこそ、救われた命です。チャンさんに限らず、他にも身体の50%をやけどした女性など、多くの命が救われています。

この診療所のオリジナルドナーである 学生医療支援NGO~GRAPHIS~の皆さん、ありがとうございます。グラフィスの活動は、「たとえ学生でも、若くても、経験がなくても、貴い命が失われるのを防ぐ力があるのだ」ということを、多くの日本の学生たちに伝えていることでしょう。

SBSIより 被災者の皆さまへ

東北地方太平洋沖地震について、お見舞とお知らせ

3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震におきまして,被災された皆様にお見舞いを申し上げます。
また犠牲になられた方々とご遺族の皆さまに、謹んでお悔やみ申し上げます。
サイド・バイ・サイド・インターナショナル(SBSI)では、
困難な生活を強いられている被災地の皆さまのために
国内外からの救援物資の受け入れと、
避難所など現地で活動する他の団体や市町村のための輸送支援を実施しております。
現在、物資のほかに輸送経費支援を呼びかけております。
(寄付金は、課税控除対象となります。詳しくはこちらをご覧下さい。)

航空会社が、点滴液の輸送協力

Asiana Narita2月15日、カンボジア事務所の所長と所長補佐が来日を終えてカンボジアに帰国する際に、アシアナ航空が、 カンボジアの命を救うプロジェクトの支援の一貫として、グラフィス診療所のための点滴液3箱分を無料で運ぶことに協力してくださいました。点滴液は新宿区 の花梨堂薬局からの寄贈です。通常、品質維持のため、コンテナ船で送ることはできません。ですから、アシアナ航空のご協力は、大いに助けとなりました。

また、学生団体グラフィスOBの協力により、ひしむらクリニックより寄贈された携帯心電計も、携行しました。移動診療に役立つことでしょう。

このように、グラフィス診療所や救急医療への支援の輪は、国を超えて、さらに広がっています。 皆さまからのご支援をお待ちしています。

グラフィス診療所へ医療機器の寄贈

国際ロータリー第2660地区(大阪)より

2011/02/01

V-Scan大阪の国際ロータリー第2660地区か ら、グラフィス診療所のために、超小型超音波機器(V-Scan 写真左)がサイド・バイ・サイド・インターナショナルに寄贈されることになりました。 SBSI佐々木理事長、及び来日中のSBSIカンボジア事務所所長ピーター・リー、所長補佐の西口三千恵が、大阪での寄贈式(写真右下)に出席しました。 同地区からは、診療所のために自動血球計数装置(KX-21)も寄贈されています。  寄贈式の前にはV-Scanに関する講習も実施され、診療所での診療や移動診療活動にも、大いに役立つことでしょう。

寄贈式では、このプロジェクトに参加くださっている15クラブの代表の方々に、グラフィス診療所の所長でもあるピ2011012660osakaRCーター・リーが、建設から開所後の診察活動までを報告。また、昨年11月22日の水祭り事故に際して2660地区がご支援くださった遺体袋と資金援助へのお礼を述べると共に、カンボジアにおける大災害の現状についても紹介しました。  リー所長及び西口所長補佐201101presentation2660は、継続して大阪に滞在し、大阪南茨木大阪大淀大阪ネクスト、大阪梅田の各ロータリークラブにてグラフィス診療所の活動とカンボジアの救急システム構築事業についてご説明しました。

その他のロータリークラブからの支援

2月14日には、東京で、佐々木理事長らと共に、昨年、二つの病院の救急隊訓練支援並びに救急用機材の寄贈をして下さった東京渋谷ロータリークラブのメンバーとも会合をしました。 大阪の八尾ロータリークラブも、昨年から、グラフィス診療所近くのプレイ・プロセッ学校改築事業を支援して下さっています。

既に多くのロータリアンが、実際にカンボジアの辺ぴな地域の診療所を訪問され、このような様々な貢献をしてくださっていることに感謝申し上げます。

2011年1月7日発生した悲惨な交通事故 2011年1月

			サイド・バイ・サイド・インターナショナルカンボジア事務所長
				 及びCDEP代表  ピーター・Z・リー

12:18 プロジェクトマネージャーから、国道4号線のグラフィス診療所(以下、GHC)から16キロ離れた地点で事故発生の通知を受ける。

12:49 GHCの主任医師から電話で、二名が負傷したが、応急処置によって容態は安定し、プノンペンの国立カルメット病院に搬送準備中であるとの報告 を聞く。SNCTCの医療スタッフ及び救急隊、31師団司令官と兵士達、軍警察、郡警察、地元警察が、救助協力や、交通整理などを申し出た。プロジェクト マネージャーによって、車両にまだ4人が閉じこめられているが、救助できないと報告を受ける。GHCの看護師やSNCTCの救助隊員から、この4人は死亡 していると知らされる。そこで、遺体袋を積んだ遺体搬送車を現場に向かわせるよう指示した。

13:26  現場に向かうため、プノンペンから国道4号線を走行。途中で二名の負傷者を乗せたグラフィス救急車に会う。

14:47 現場到着。直ちに、車両から遺体収容準備を開始。車両は大破していることから、二人が生存したのは、奇跡で ある。車両をロープで木に固定し、岩で車両の側面を固定。手動油圧ポンプを使い、カッターで車両を切断して、後部座席の3人の遺体の収容作業を進める。収 容したのは、幼い女児(後で2歳と判明)、十代の少女(娘)、そして母親。3人ともシートベルトは着用していなかった。男性運転手(父親)はシートベルト をしていた。運転席から遺体を収容するのは、さらに困難だったが、収容完了。遺留品も回収。

16:50 撤収開始。遺族から、遺体を葬式のために準備するために協力を要請されていたので、遺体を国立カルメット病院の遺体安置所に搬送開始。

18:30 同病院の遺体安置所に4人の遺体と共に到着。

19:15 遺体の準備が終了したので、葬式が行われる遺族の家に搬送。

これは、ご遺族のみならず、我々、救急隊にとっても、悲劇的な出来事だった。犠牲者は、我々の近い友人であり、協力者だったからだ。運転手(夫)は、救急 医療事業を熱心に支援してくれていた。日本から送られた緊急車両や救助機材の積まれたコンテナの通関という複雑なお役所業務を切り抜けるために尽力してく れた。実は、運転手の妻の義理の姉妹は日本人で、我々の友人であり、また以前に日本大使館に勤務しており、日本から送られた救急車の輸送協力にも携わった 人である。

この週末だけで、我々の知り合いや救急救助隊の親戚などが関係する大きな交通事故が4件もあった。
全く悲しく、悲劇としか言いようがないが、私はこれらの事故によって、このカンボジアにおいて、着実かつ組織的に、救急医療及び緊急災害管理システムを完成させるという決意をさらに堅くした。「他が生きるために」という米空軍救難隊のスローガンを思い出した。
我々は、「他が生きるために」働く。しかし、今回は良き友人であり、協力者であった人を失ってしまった。ご遺族の悲しみは、計り知れないことだろう。

(CDEPブログでの写真レポートはこちら